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2011年05月24日
ゆったり湯めまちウォークに参加しました。パート1.
先日の日曜日、知人の「伊東歴史案内人」に誘われ、「伊東祐親一族と源頼朝ゆかりの地めぐり」にさんかいたしました。
本当は最初から参加したかったのですが、昨夜宿泊のお客様が多かったため、片づけをある程度してから参加したため、途中からの参加となりました。
行程は「南伊東駅集合 9:00出発~鎌田神社~稚児が淵~和泉橋~岡橋~葛見神社~東林寺~伝祐親の墓~物見が丘(昼食)~仏光寺~佐藤家~最誓寺~音無神社~松川遊歩道~いでゆ橋~伊東駅」でした。
私は岡橋から合流させていただきました。本当は「稚児が淵」があまり一人では行きにくい所だそうなのでそこへ行きたかったのですが、諦めました。
「稚児が淵」は伊豆に流された、源頼朝と伊東祐親の娘八重姫の恋の結晶である幼児千鶴丸が、平家をおもんばかる祐親のはからいで重しをつけて沈められたという言われがあります。
平安時代のロミオとジュリエット的な話が伊東にはあるのです。(伊東家は平家、頼朝は源氏だから)
岡橋で合流した後、まず「葛見神社」へ行きました。




ここには天然記念物の大クスがあり、パワースポットでもあります。伊豆半島では熱海来宮神社、河津来宮神社、葛見神社の3本が天然記念物に指定されています。
皆で周りをぐるりと歩き、パワーをいただきました
次に「東林寺」ここは伊東祐親がわが子河津三郎の菩提を弔うために建立したといわれています。
有名な仇討の物語「曽我兄弟の仇討」の父親ですね。相撲が強く「河津掛け」の名のゆらいの人物でもあります。


かわいい咳止めのお地蔵さんもいらっしゃいましたので、咳が良くでる私は咳が止まるようお願いしました。

次は「伝 伊東祐親の墓」祐親の墓ではないかと伝えられているものです。皇太子様がまだ浩宮様だった時郷土史の研究で訪れたこともあったそうで、記念の碑が横に立っていました。



その後、伊東市役所隣の物見塚公園にて昼食となりました。
part2に続く。。。。
本当は最初から参加したかったのですが、昨夜宿泊のお客様が多かったため、片づけをある程度してから参加したため、途中からの参加となりました。
行程は「南伊東駅集合 9:00出発~鎌田神社~稚児が淵~和泉橋~岡橋~葛見神社~東林寺~伝祐親の墓~物見が丘(昼食)~仏光寺~佐藤家~最誓寺~音無神社~松川遊歩道~いでゆ橋~伊東駅」でした。
私は岡橋から合流させていただきました。本当は「稚児が淵」があまり一人では行きにくい所だそうなのでそこへ行きたかったのですが、諦めました。
「稚児が淵」は伊豆に流された、源頼朝と伊東祐親の娘八重姫の恋の結晶である幼児千鶴丸が、平家をおもんばかる祐親のはからいで重しをつけて沈められたという言われがあります。
平安時代のロミオとジュリエット的な話が伊東にはあるのです。(伊東家は平家、頼朝は源氏だから)
岡橋で合流した後、まず「葛見神社」へ行きました。




ここには天然記念物の大クスがあり、パワースポットでもあります。伊豆半島では熱海来宮神社、河津来宮神社、葛見神社の3本が天然記念物に指定されています。
皆で周りをぐるりと歩き、パワーをいただきました

次に「東林寺」ここは伊東祐親がわが子河津三郎の菩提を弔うために建立したといわれています。
有名な仇討の物語「曽我兄弟の仇討」の父親ですね。相撲が強く「河津掛け」の名のゆらいの人物でもあります。

かわいい咳止めのお地蔵さんもいらっしゃいましたので、咳が良くでる私は咳が止まるようお願いしました。

次は「伝 伊東祐親の墓」祐親の墓ではないかと伝えられているものです。皇太子様がまだ浩宮様だった時郷土史の研究で訪れたこともあったそうで、記念の碑が横に立っていました。



その後、伊東市役所隣の物見塚公園にて昼食となりました。
part2に続く。。。。
Posted by 温泉民宿 海風荘 at 14:53│Comments(0)
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